アールブリアンは赤坂6丁目にオフィスを構えています。赤坂6丁目といえば、赤坂・六本木・乃木坂の中間地点になりますが、
今回は六本木に注目してみました。アールブリアンのスタッフが夜な夜な六本木に繰り出しているかは定かではありませんが、
今回はアールブリアンから程近い六本木の歴史を調べてみました。
「六本木」という地名の由来ですが、普通に考えれば単に六本の木があったからと考えますよね。幾つかの説があり実際のところは定かではありませんが、
「六本の松の木」があったからと言う説が一番濃厚のようです。もう一つの有力説としては、六つの大名屋敷があり、大名の苗字はそれぞれ樹木の名前であったとの説もあります。
ちなみに、青木氏、一柳氏、上杉氏、片桐氏、朽木氏、高木氏とのことです。
六本木の歴史は古くは江戸時代までに遡ります。終戦を経て米軍駐留地となったことから、六本木は今でも国際色の強い街です。
昭和34年米軍施設が日本に返還され、防衛庁として平成12年まで歴史を刻みます。
昭和34年頃、六本木族と称される若者達が六本木に集いたむろしている姿がマスコミで話題となります。
六本木で出会った若者二人が死を選択するまでを描いた、笹沢左保氏著の小説「六本木心中」も話題となり、拍車を掛けます。
高度成長期からバブル期が始まり、一世を風靡したワンレン・ボディコン・アッシー君にメッシー君。
麻布、六本木からウォーターフロントはディスコの街と化します。マハラジャを筆頭に、六本木スクエアビルはほぼ全フロアをディスコで埋め尽くす賑わい。
そしてディスコ店は巨大化し、「ジュリアナ東京」に「六本木ベルファーレ」が出現します。
森ビルは昭和61年に、バブルの象徴としてアークヒルズ(赤坂)をオープン。そして六本木ヒルズを平成15年にオープンしました。
「東京ミッドタウン」がオープンしたのは記憶に新しいですね。
アールブリアンの社員の中に、バブル期にワンレン・ボディコンでジュリアナ東京のお立ち台で踊っていた人がいるかどうかは定かではありません。 |